ジョー・ローガン サイケな時代の終わり

1969 camaro ミーム
LochinによるPixabayからの画像

コルベットができたのはドラッグのおかげだ

〜〜 ジョー・ローガン 〜〜

ジョー・ローガンのポッドキャスト「ジョー・ローガン・エクスペリエンス(Joe Rogan Experience)」は、世界中で圧倒的な人気があります。スポティファイでの配信が中心ということですが、ユーチューブのチャンネル登録者数 も1730万人(2024/9/13現在)と、主要ニュースメディアのCNNを超えており、世界一のポッドキャスト番組と認定されています。

ジョー・ローガン:ゲストのジョーダン・ピーターソンにサイケデリックが薬物として規制されるにいたった経緯を語る。

34:40 1970年の包括的な規制物質法〔包括的医薬品濫用防止及び管理法の一部〕は、実質的には市民権活動家や反戦活動家をターゲットにしていました。ヒッピーたちを捕まえるために制定されたのです。トム・オニールが『カオス』で鮮やかに描き出しているとおり、MKウルトラといった洗脳実験によってマンソン・ファミリーを生み出したのです。洗脳と人殺しを教え込まれたマンソンはサイコパスとされ、ヒッピーたちはみんなサイコパスということになって、良識ある人びとが反戦運動をすべてやめさせました。人々はその後、すべてを「スケジュール1」に分類しました。シロシビンやマリファナを含め、すべてが完全に違法なものとされ、最も厳しい規定が適用されたのです。ケン・キージー〔『カッコーの巣の上で』の著者、カルトヒーロー〕のような人たちや、LSD使用者たちは、みんな犯罪者になってしまいました。

35:39 そうやってニクソン政権が大衆運動に冷や水を浴びせたのですが、効果てきめんでした。60年代から、混乱の70年代から80年代にかけて、サイケデリックの文化は薄れていきました。人びとはコカイン〔中枢神経刺激薬〕をやりだし、化粧をぬりたくり頭髪を盛りだしましたが、音楽はひどいものでした。何かが起こったのです。50年代から60年代にかけて文化を根底から変え始めていたものが完全に取り除かれてしまったのです。

36:10 ぼくは60年代の自動車の大ファンなんです。スタイルといい音といい、なにか違うんですよ。80年代、ぼくが子どものころ、周りのみんなが60年代の車にあこがれていました。1969年型シボレー・カマロが走りすぎるたびに、みんな息をのんで見守ったものです。スタイルやデザインをみると、確かに今と通じるものがあります。1980年代の車なんか、だれも欲しくないです。1990年型カマロなんか目にも留めませんが、1968年型のカマロが駐車してあったら、みんな立ち止まって見るでしょう。あのような車を作った人たちはみんなドラッグをやっていたと思います。シボレー・コルベットを制作した人は、間違いなくドラッグを使用していたはずです。

37:10 この人たちは、ちょうどステージに立つジミ・ヘンドリックスと同じものを感じていたはずです。誰も聞いたことのないようなギターパフォーマンスを披露するヘンドリックスを初めて見たエリック・クラプトン〔イギリス人ギタリスト・シンガーソングライター〕は、自分はもうギターをやめようと感じたほどだといいます。みながどこからともなく現れた彼に打ちのめされ、まごつきました。100パーセント、サイケデリックのなせる業です。間違いありませんよ。

37:36 1970年代、サイケデリックの使用に冷や水を浴びせることで、人びとは人類の文明に甚大な不利益をもたらしたと思います。サイケデリック使用者を、自己管理ができていない人であるとか、社会性が足りないとか、うだつの上がらないやつだとか、社会の落伍者であるとかいったレッテルを張ったのです。

37:58 そんなことはありません。ぼくの知っているビリオネアたち、金融機関を経営する大金持ち、おそろしく聡明なベンチャーキャピタリストやハイテクの人たち、ほとんど全員が熱心なサイケデリックの信奉者ですし、その体験者です。口にはださないんですけどね。これは、とても残念なことです。

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