過度の社会化は、人間同士が互いに加える最も深刻な残酷さの一つである。
~~ テッド・カジンスキー ~~
テッド・カジンスキー(Theodore John Kaczynski)は、「ユナボマー」として知られるアメリカの連続爆弾犯です。1942年にシカゴで生まれ、ハーバード大学で数学を学び、ミシガン大学で博士号を取得後、カリフォルニア大学バークレー校で教鞭を執りましたが、1969年に突然辞職し、71年にモンタナ州の山奥で隠遁生活を始めました。
カジンスキーは技術の進歩が人間の自由を奪い、自然を破壊していると考え、1978年から1995年にかけて大学や航空会社に郵便爆弾を送り、3人を殺害、23人を負傷させました。1995年に自身のマニフェスト「産業社会とその未来」を公開するよう要求し、その文体から弟に特定され、1996年に逮捕されました。彼は無期懲役を宣告され、2023年に81歳で死去しました。自殺とみられていますが、末期がんもわずらっていたようです。
以下は、そのカジンスキ―のマニフェストの一章「過社会化」からの翻訳です。高度に規制化・制度化された現代社会の弊害を「過社会化」というキーワードで論じています。
『ユナボマー・マニフェスト』「過社会化」より
24. 心理学者は「社会化」という用語を、子供が社会の要求に応じて考え、行動するように訓練される過程を指すために使用する。ある人が社会の道徳的規範を信じ、それに従い、その社会の機能的な一部としてうまく適応している場合、その人は「良く社会化されている」と言われる。多くの左翼主義者が過剰に社会化されていると言うと、意味をなさないように思えるかもしれない。というのも、左翼主義者は反逆者として見られているからである。しかし、それでもこの立場は擁護できる。多くの左翼主義者は見かけほど反逆者ではないからだ。(23)
25. 我々の社会の道徳規範は非常に厳しく、完全に道徳的な方法で考え、感じ、行動することはできる人は誰もいない。例えば、誰かを憎んではいけないとされているが、誰かを憎んだことのないような人は、ほとんどいない。たとえそれを自分で認めていなくても、だ。そこで人によっては、社会化の程度があまりに高いために、道徳的に考え、感じ、行動しようとすることが大きな負担になることがある。その結果、罪悪感を避けるために、自分の動機について絶えず自分を欺き、実際には道徳とは関係のない感情や行動に対して道徳的な説明を見つけようとする。このような人々を「過社会化された人」と呼ぶのである。(23)
26. 過度の社会化は、低い自尊心、無力感、敗北主義、罪悪感などを引き起こすことがある。我々の社会が子供を社会化する最も重要な手段の一つは、社会の期待に反する行動や発言を恥じさせることである。これが過度に行われるか、特定の子供がそのような感情に特に敏感である場合、彼は最終的に自分自身を恥じるようになる。さらに、過社会化された人の思考や行動は、軽く社会化された人よりも社会の期待に強く制約される。大多数の人々は、かなりの量のいたずらな行動をする。嘘をつき、些細な盗みを働き、交通規則を破り、仕事をサボり、誰かを憎み、意地悪なことを言ったり、他人を出し抜くためにずるい手を使ったりする。過社会化された人はそういったことをできないし、たとえできたとしても、自分に対して恥や自己嫌悪の感情を抱く。過社会化された人は、受け入れられた道徳に反する考えや感情を、罪悪感なしには経験することすらできない。「汚れた」考えを持つことすらできないのだ。そして、社会化は単に道徳の問題に限らない。我々は道徳とは無関係の行動規範にも従うように社会化されている。このようにして、過社会化された人は心理的な鎖に繋がれ、社会が敷いたレールの上を走り続ける人生を送ることになる。多くの過社会化された人々にとって、これは強い束縛感や無力感を生み出し、厳しい苦しみとなることがある。過度の社会化は、人間同士が互いに加える最も深刻な残酷さの一つであると我々は考える。(24)
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