J・D・ヴァンスは、アメリカの作家、実業家、そして政治家で、現在オハイオ州選出のアメリカ合衆国上院議員を務めています。オハイオ州ミドルタウンで生まれ育ち、家庭環境の影響から貧困や薬物依存といった問題に直面する中で成長しました。ハイスクールを卒業した後、海兵隊に入隊しました。退役後、復員軍人援護法(G.I. Bill)を利用して、オハイオ州立大学では政治学と哲学を専攻し、学士号を取得。その後、イェール大学ロースクールに進学し、法務博士(Juris Doctor)を取得しました。
2年ほど法律業を営んだのち、サンフランシスコへ移り住みベンチャーキャピタリストとして活躍しました。2026年から2017年にかけては、ペイパル、オープンAI、パランティーア共同創業者であるピーター・ティールのミスリル・キャピタルで働いています。このビジネス経験を通じて、シリコンバレーでのスタートアップやテクノロジー業界の動向にも精通しています。
ヴァンスは、2016年に自伝的著書『ヒルビリー・エレジー』(Hillbilly Elegy)を出版しました。この本は、彼自身の経験を基に、アメリカの労働者階級の白人コミュニティに焦点を当て、経済的・社会的課題を描いています。著書はベストセラーとなり、2020年には映画化され Netflix で配信されています。
政治家としては、2022年にオハイオ州の上院議員選挙に出馬し、共和党の候補として当選しました。この選挙では、ドナルド・トランプ元大統領からの支持を受け、保守派の有力候補として知られるようになりました。上院議員としてヴァンスは、経済政策、移民問題、国内産業の振興などに力を入れており、特に中西部の労働者階級の利益を代弁する立場を取っています。2024年の7月の共和党全国大会で、大統領候補のトランプによって副大統領候補として指名されました。
以下は、『ヒルビリー・エレジー』からの抜粋(拙訳)です。ヴァンスの愛するヒルビリーたちの人となりが伝わってくるシーンをふたつピックアップしました。ここに登場するパパウとママウは、ヴァンスの祖父母で、アパラチアからオハイオへやってきた生粋の第一世代のヒルビリーです。
『ヒルビリー・エレジー』より
~エピソード1~
…… 偏見を抱いていたのは、お互いさまであった。じっさい、新しくご近所になった人たちの多くはふたりのことを疑いの目で見ていた。もとから住んでいた中流階級の白人オハイオ州民にとって、ヒルビリーたちはとにかく場違いだったのである。
まず子供の数が多すぎるのと、親戚たちをいつまでも自宅に泊まらせていた。ママウの兄弟たちや姉妹たちが、丘陵(ヒル)を出て良い仕事を見つけようとママウとパパウの家に数ヶ月間住み込みでいたのは、一度や二度のことではなかった。つまり、ふたりの文化や習慣のかなりの部分が地元ミドルタウン市民から激しい反発を受けていたのである。
『放浪するアパラチア移民たち』(Appalachian Odyssey)は、デトロイトへ押し寄せたヒル出身者たちについてこう述べている。「アパラチア移民は、たんに都市には ”場違いな“ 田舎者だったから、中西部の都市の白人たちが不安を抱いたのではない。というよりむしろ、これらの移民たちは白人というものの外見、話しぶり、振る舞いについて、北部白人の有していた通念を崩した――つまり、ヒルビリーたちの民族性こそが人々を不安に陥れていたのである。表面的には、ヒルビリーたちは、地域社会や国家全体において経済的、政治的、社会的な権力をほぼ独占している者たちと同じ人種(白人)であった。しかし、ヒルビリーたちは、デトロイトに流入してくる南部の黒人たちの方と、地域的特性を多く共有していたのである」
パパウの良き友人のひとりが近所で郵便配達員になった。ケンタッキー出身のヒルビリーで、パパウは彼とオハイオで知り合った。引っ越してきてすぐ、その郵便配達員は自宅の庭で飼っていた鶏の群れをめぐってミドルタウン市役所と対立することになってしまった。
でも、彼はママウがかつてくぼ地でしていたのと同じやりかたで、自分の鶏を扱っていただけであった。毎朝卵を集め、鶏の数が増えすぎると古い鶏を何羽かつかまえ、首を捻り殺し、裏庭でさばいてから食べるのである。
とはいえ、わずか数フィート先でケンタッキー生まれのお隣さんがガーガー鳴いている鶏を屠殺するのを、真っ青な顔で窓越しに見ている上品なマダムの姿を想像してほしい。
私と妹は今でもその郵便配達のおじいさんを「チキンマン」と呼んでいる。それから何年たってからも、市役所がよってたかってチキンマンをいじめたことに言及するだけで、ママウの口からトレードマークとなった暴言が飛び出してきたものだ。
「なにが区割り規制よ、くそったれどもが。あたしの真っ赤なケツの穴にキスさせたいわ」
~エピソード2~
あるとき、ふたり(祖父母の「パパウ」と「ママウ」)はクリスマスプレゼントを買うためにショッピングモールに行った。休日の人込みの中で息子のジミーを自由にさせたので、ジミーは欲しがっていたおもちゃを探しまわった。
「テレビCMでやっていたんだ」と、最近になってからジミーおじさんがわたしに教えてくれた。「それはジェット戦闘機のダッシュボードのように見えるプラスチックのコンソールで、光を照らしたりダーツを射ったりできるタイプのものだった。戦闘機のパイロットになりきるっていうのが醍醐味のおもちゃだったんだ」
ジミーはたまたまこのおもちゃを販売していた薬局に迷い込み、手に取って遊び始めた。「店員は不機嫌になってさ、おもちゃを置いて出て行けというんだ。」叱られたジミーが寒さの中、外に立っていると、ママウとパパウが通りかかって薬局へは入らないのかと尋ねた。
「入れないんだ」とジミーは父親に言った。
「どうして?」と訊かれると、「とにかく、入っちゃいけないんだ」と答えた。
「今すぐ理由をいいなさい」
するとジミーは店員を指差した。「あの人が僕に怒って、出て行けと言ったんだ。戻ってくるなと言われた」
ママウとパパウは怒り心頭でその店に入るなり、店員に無礼についての説明を求めた。店員はジミーが高価なおもちゃで遊んでいたからだといった。パパウはそれを手に取って「このおもちゃか?」と訊いた。店員がうなずくと、パパウはそれをいきなり地面に叩きつけた。そして店は大混乱となった。ジミーおじさんはいう。
「二人は怒り狂っていたよ。親父は店内で別のおもちゃを投げつけると、恐ろしい剣幕で店員に詰め寄った。お袋は棚から無作為に物を取って投げ散らかしながら、『このくそったれのケツに蹴りを入れろ!蹴りを入れてやれ!』と叫んでいた。それから親父は店員ににじり寄ると、彼に聞こえるようにはっきりこう言ったんだ。『俺の息子にもう一言でも何か言ったら、お前の首をへし折るってやるからな』哀れな奴さ。恐怖でガタガタ震えていたよ。僕のほうは、とにかく大急ぎでそこから立ち去りたかった」
それから店員は謝罪し、ヴァンス一家は何事もなかったかのようにクリスマスの買い物を続けたという。
Vance, J. D.. Hillbilly Elegy: The Internationally Bestselling Memoir From Trump’s Vice-Presidential Candidate in the American 2024 Election (English Edition) (pp.31-34). HarperCollins Publishers. Kindle 版.
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